避難者訴訟の争点 井戸謙一(いど けんいち) 2

【転載の続き】

そうすると、裁判所が判断するべきことは、「長期低線量被ばくによる健康リスクの有無」ではなく、「長期低線量被ばくによる健康被害の有無や程度について確定的な見解が存在しない状況下において、子どもの健康への悪影響を恐れて区域外避難をしたことの合理性」であるはずである。気まぐれや好奇心で区域外避難を選択した人はいない。誰もが悩みながら、親族や友人、場合によっては配偶者の白い目に耐え、経済的困難を引き受ける覚悟をし、嫌がる子どもたちを説得し、見知らぬ土地での見通しのない生活への不安を封印し、断腸の思いで故郷を後にしたのである。そして、避難者に冷たいこの社会の中で、社会的に孤立し、経済的困窮に耐え、見通しのない生活に疲弊しながら、避難生活を続けているのである。すべては子どもたちの健康を守るためである。
訴訟の構造をこのように捉えた時、裁判所が区域外避難者の行動が不合理であり、福島原発事故と相当因果関係がない(必要もないのに勝手に避難した)などという理不尽な判断をするとはとても思えない。
裁判所が、避難しな人たちの思いを充分理解した上で判断されることを切に願う。

【科学 2017年3月号 巻頭エッセイ】

辺野古しかり、高江しかり、日本の人権状況は、中世の封建的時代に、戻りつつあると感じる。
フクシマで被ばくを拒否する権利を認めないのは、人権を認めないことにひとしい。